武士道について
武士道とは人としての在り方、生き方の行動規範となるものをいいます。 幸誠館では武士道を下記のように定義しています
「自己の信念に対して赤誠(せきせい)を尽くすこと」
※赤誠とは少しの嘘や偽りもない、ひたむきな真心という意味
武士道はよく主のために忠義を尽くして命を投げだす、「滅私奉公」的な犠牲的精神で語られることがあります。しかし、当流ではそうは考えません。武士道というのは己が意気に感じたもの、心から大切だと感じたものに対して徹底的に誠実であるという生き方だと思います。つまり、己というものをとても大切にする生き方なのです。そこに「理屈」はなく「心」に従った生き方をするということです。
具体例を挙げると、楠木正成が足利尊氏と戦になる際、後醍醐天皇へ京都に尊氏を引き入れて攻める策略を献策します。しかし、貴族たちの反対もあり、唯一の必勝の策を却下され、正成は湊川に向かいます。 その際、現在の大阪府島本町駅周辺の桜井の駅という場所で、息子の正行へ領地へ帰るよう諭します。戦中はこれらのエピソードを恣意的に利用し、主のために忠義を尽くし、命を懸けて働くことが良いことと教えていたようですが、私は違うと思います。
正成は自分を一角の武士にしてくれた後醍醐天皇への恩義に対して、誠実であろうとしただけであり、だからこそ、正行は戦地に連れて行かず、帰りなさいと言ったのだと私は考えています。 「理屈」で言ったら負け戦確定なわけですから逃げ出しても良かったし、足利尊氏の誘いに乗っても良かったのです。
ではなぜ、正成は息子に強制せずに己の責任で自ら死地に赴いたのでしょうか? それは、 自分自身が意気に感じたことに誠実であろうとして「心」に従ったからではないでしょうか。
武士道は難しく誤解されてしまうきらいがあると思っていますが、実はとてもシンプルな生き方なのだと思います。 論語の言葉を借りれば 「義を見て為さざるは勇なきなり」 だと思います。
武士道における「正義」
上記のように「自己の信念に対して赤誠を尽くす」には「強さ」が必要になります。この「強さ」は戦闘者としての身体的強さの他に、自身の信じる大義を果たすための心的強さも含まれます。武士は強くなければ自己の信念を貫き通すことが出来ません。 「強さ」こそ武士道における「正義」 なのです。
だからこそ、古武道はこの武士道的精神を体現するために必要なものであり、現代のように洪水のような情報やさまざまな意見、選択肢の中で何を自分が意気に感じて全力を尽くすのか、ことにあたるのか。 自分自身で選びとって責任を果たす生き方は再評価されるべき だと考えています。
ただ、間違ってはいけないのは古武道や武士道という考え、在り方は 一つの手段に過ぎない ということです。 人生の目的は何でしょうか?それは幸せになることだと思います。幸誠館では幸せを以下のように定義しています。
「価値観が類似した人と一緒に生きること」
この武士道という生き方を現代に生かすための手段として古武道を実践で持って学んで、世界でも唯一無二である価値ある日本文化として継承していきたいと私は意気に感じています。 だからこそ、当流の理念に共感し、目的に向かって一緒に稽古したいと思ってくださる方には本気で応えていきたいと考えています。
誠に幸せであると感じられる場所、そうなって欲しいと願い「幸誠館」と名付けました。 武術は愉しいものです。古武道は幸せになるための手段 です。自分の幸せに向かって邁進する。それこそが、 「本質追求力」 であり、人生の選択の質を高める力になります。
是非当流の考え方に共感いただけた方は、見学・体験のご連絡ください。一緒に自分の信じる道を見つけて、幸せなより良い人生を歩めるよう精進しましょう!!